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野球グローブ・ミット
グローブ・ミット産業の歴史
グローブ・ミット産業の歴史は日本の野球の普及発展とその歩みをともにしてきました。日本においてグローブを使い始めたのは明治29年(1896)頃の事です。
1921年三宅町でのグローブ生産の始まり
三宅町において、最初にグローブの生産を行ったのは、大正10年(1921)2月頃に坂下徳治郎さん達によって始まったとされています。
昭和に入り終戦以降、野球が日本の国民的なスポーツとして発展していく中で、グローブ・ミット用具の要望が増えるに従って、戦前より三宅町で皮革を扱う職人として技術を習得していた人達が独立してグローブ・ミットの生産を始めました。
1956年輸出開始
昭和31年(1956)からは本格的に対米輸出が始まりました。
1970年生産の最盛期
昭和45年(1970)の最盛期には587万個ものグローブ・ミットが輸出されるようになりました。
そして、それにともない生産業者数も飛躍的に増加し、三宅町を中心に桜井市、河合町が主産地となって全国生産量の90%を占めるようになりました。
1971年、1973年国内生産量の減少
その後、昭和46年、48年(1971,1973)の二度わたる通貨調整により輸出が大打撃を受けるとともに、韓国、台湾などで生産される安いグローブ・ミットの輸出におされ、国内生産量が著しく減少しました。
2018年三宅町×おは朝コラボ企画
朝日放送テレビ「おはよう朝日です」のコーナー「あなたの町を盛り上げ隊」で平成30年(2018)8月、3回に渡って放送されました。町内の工房が団結し、世界に誇る技術とこだわりを集結させたオリジナルグローブが完成しました。
2021年野球グローブ生産100周年
最盛期は100軒ほど、現在も20軒近くの業者が存在しています。今日では特別注文品の受注が増えてきており、上級品の製造、小回りの効く生産体制に移行しています。
ふるさと納税の返礼品としても注目
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関連リンク
- 三宅町商工会<外部リンク>